西三河平野の北端、北は岐阜県と長野県に接している。 山と川と工業の街でもある。昔、養蚕業 、今、自動車産業 東三河から縁あってこの地に 住めば都、いいところ、ここが最後の地、終のすみ家? 町内の味噌蔵 行福寺 町内よりアルプスを望む 木曾の御嶽山 三連水車 松平郷 長興寺 トヨタ自動車本社 小原町四季桜 足助町香嵐渓紅葉 足助中馬のおひなさま
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町内の味噌蔵 野田味噌商店さん 三河平野の大豆から醸られる豆味噌です。 「ますづか味噌」の名前で知られています。
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味噌の重し石 味噌樽の上に乗せます。 |
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大きな味噌樽 |
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行福寺 豊田市桝塚東町 ますづか味噌のご近所さん 地元では焼け寺と言われている。焼けた原因がこれ以外諸説あるが地元ではこれが有力である 天文11年今川義元軍が三河路に入り寺門で休息、本堂で織田氏の武運長久の祈願を聞きつけ住職行賢をはじめ僧 侶を本堂に閉じ込め火を放った。 行賢は従僧を願みて「何事も因縁である、平常の修行が今こそ役に立つ」と一同の覚悟を促し、声高らかに「心頭滅却 すれば火もまた凉し」と渇し焼け落ちる天井と共に壮烈な大往生を遂げた。 故に地元では焼け寺と言われている。焼けた原因がこれ以外諸説あるがはこれが地元で有力である。 出典 豊田市上郷郷土史 |
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冬場には白銀に輝く木曾の御嶽山、木曾の山々、南アルプス 下の写真クリックすると大きな写真が見られます。 |
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猿投山と木曽の御嶽山を望む(桝塚八幡社) 手前が昨年12月に開通した伊勢湾岸道路豊田東JC 町内の八幡社から北方を望む 2005/1/5撮影 2005/1/5UP |
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木曽駒ヶ岳と恵那山 町内の八幡社から北東を望む 写真右側、第2東名矢作川斜張橋の向うに見えるの 恵那の山の向こう側が旧中山道、馬籠、妻籠 2005/1/22UP |
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コンクリート斜張橋渡り初め 1月30日完成間近の東海環状自動車道、第2東名矢作川橋、鞍が池 豊田松平ICから車で入り、途中本線駐車でウォーキング? このタイプのコンクリート斜張橋の高さ100m、日本一とのこと 2005/1/30UP |
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伊勢湾岸道路左奥のビル群はトヨタ自動車本社 2005/1/5 コリメート撮影で拡大 (双眼鏡20倍×デジカメ3倍) 2005/1/5UP |
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夏の御嶽山 豊田市若林東町から夏の御嶽山を望む、こ 2004/8/15 16:30 |
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御嶽山噴火平成26年9月27日 自宅近くにて 撮影は12月 手前のビルはトヨタ自動車本社 |
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御嶽山噴火 平成28年2月自宅近くにて撮影 |
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かつての日本のデンマークの源をつくった明治用水 その明治用水の水をくみ上げて田畑の潅漑に使われていた 豊田市の外れ、南東部安城市近くのサイクリングロード脇にあり |
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豊田市松平町 |
松平郷園地内 松平太郎左衛門親氏の像 近くには松平高月院、松平東照宮、家康産湯の井戸跡がある
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松平郷園地 松平東照宮脇の「侍ニッポン」句碑 映画「侍ニッポン」の主題歌で松平信博作曲、西条八十作 詞で知られていますが松平信博氏は松平家の末裔、 松平太郎左衛門親氏から20代目のお殿様作曲家 ♪ 「人を斬るのが侍ならば 恋の未練がなぜ斬れぬ のびた月代さびしくなでて 新納鶴千代にがわらい」 2004/02/09UP |
徳川幕府崩壊以後中断されていたが近年復活、年々盛ん になっています。 はだか男先頭の幟持ちは白人男性、ウイリアムアダムス 平成16年2月8日撮影 2004/02/09UP |
ここでもはだか男のウイリアムアダムス(三浦安針)が目 立っています。 2004/02/09UP |
松平郷園地 松平天下祭りで披露の松平、和太鼓伝統の松平和太鼓の 熱演 昨年、東京世界和太鼓コンクール(アマ、プロ問わず)で三 位入賞、健闘した。 2004/02/09UP |
松平天下祭りで奉納の松平起倒流棒の手 児童の真剣な演技に大喝采 なぎなた、十手、鎌、日本刀に棒で立ち向かう伝統ある舞 技真剣を用いた演技もあり迫力万点 2004/02/09UP |
豊田市長興寺町 臨済宗のお寺で 創建は建武二年(1335年)で後醍醐天皇の時代 社会科教科書などでおなじみの信長の肖像画が納められています. 肖像画が納められています。狩野元秀の作といわれています。(国指定文化財) 皮肉にも信長によって長興寺は焼かれますが家臣の余語正勝によって再興され、その時信長の肖像画も奉納された 長興寺所蔵 信長像 |
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長興寺のつり鐘は、美しい音色を発したため、当時の村人は、身も心も洗い清められるような清々しい気持ちになり、 ところがある晩、泥棒が、その鐘を盗んで担いでいたところ、鐘が急に重くなり「長興寺恋いしやポンワンワン」と出たの です。 どろぼうは身きできず、恐れおののき鐘を返そうとしました。 すると不思議なことに急に軽くなり、鐘をお寺に返す事ができたのです。 その後も長興寺の鐘は、いつもと変わらぬ音色で鳴り響いています。 「案内板より」 2004/9/26 |
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豊田市の横顔 |
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矢作川にかかる優美な橋 黒川紀章氏のデザインです。 橋梁形式:バスケットハンドル型ニールセンローゼ橋
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豊田1番の?繁華街 名古屋鉄道豊田市駅前、平日は
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旧トヨタ自動車本社ビル その昔、たぬきが出た衣が原の雑木林、自動車城下町、自動車産業の本丸。 本社ビル 通称本館と言われていますが近々建て替えが 計画されています。 本館を道路を隔てて対面がトヨタの頭脳の技術関係部署 の建物です。 春の桜がとてもきれい。 2004/5/27 |
トヨタ自動車本社 旧本館裏側 Previous Headquarters 旧本館裏手、事務1号館構内から望む しだれ桜だけは毎年きれいな花を咲かせる 入社したとき周囲の桜が満開なのは覚えているがこの桜は 新本館ができたので本社機能は新本館へ 平成17年4月9日撮影 2005/4/9UP |
トヨタ自動車本社ビル 新本館 (Headquarters) 本社機能がこの新本館に、旧本館の南側に2004年に建てられた。 本社周りの桜がきれい、桜だけは昔の面影をのこして今年も楽しませてくれる。 この付近の地図トヨタ自動車PR施設 トヨタ会館はここをクリック 工場見学もできます。 平成17年4月9日撮影2005/11/9UP 05/11/22更新 |
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平成17年4月1日豊田市へ編入合併の為「となり町」から引越し 豊田市の北部岐阜県境にある自然と和紙の里 春と秋に咲く四季桜が季節の移ろいと共に楽しめます。 和紙作りが体験できる和紙工芸館と地元和紙工芸作家の作品が観られる展示館などがあります 緑の木々や桜と紅葉とのコントラストがすばらしい 05/11/22更新 |
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和紙展示館裏の四季桜ともみじ 2004/11/18UP |
町民広場の四季桜 町民広場及び支所(旧役場)付近 広場の周辺には約300本もの四季桜 が自生しています 2004/11/18UP 05/11/22更新 |
小原町 国道415号線沿いの四季さくら 土手沿いに咲く四季桜が見事です。 2004/11/18UP 05/11/22更新 |
八十八段の石段を登れば薬師寺です かなり急な石段、登るのは大変ですが八十八段登ればご利益授かること間違いなし 2004/11/18UP 05/11/22更新 |
三好町 伊藤様提供 2005/4/9UP |
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豊田市足助町 かつて三河湾の塩をこの足助まで運びここから信州などに運んだ中継地として栄えた。 巴川の清流に紅葉に染まりとても綺麗 |
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足助中馬の塩の道の道標 左信州、右遠州街道 |
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三河の雛人形や土雛の展示 商家や一般民家のおひなさんを公開 昔から伝わる雛人形をこの期間に限り観光客を家の中に案内 |
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現在営業中の信用金庫 |
案内パンフレットで場所を確認、ここだね。 |
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大正元年創設の銀行がいまは展示館 金庫室にお雛様が |
足助中馬館 正面入り口 |
三好町 伊藤様提供 2005/4/9UP |
豊田市松嶺町蒼嶺 |
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野口雨情先祖ゆかりの地 豊田市野口町 案内板 野口雨情先祖ゆかりの地 愛知県豊田市野口町 其祖ハ 楠木七郎橘正季 二世ノ孫子ヨリ出ヅ 南朝ノ末期 足助重範ノ裔族ヲ頼リ 野口自治区は花、ホタル、歴史の町であり、野口雨情の先祖で楠木正季とつながる
撮影07/3/19 |
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野口町公民館裏 野神社入り口 野口雨情先祖ゆかりの地案内の石標識がありました 側面には雨情直孫の不二子さんの「秋風や祖先を偲ぶ祭りぶえ」の句 反対側には「楠木の隠れし里や彼岸花 」みのる の句が刻まれていた |
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となり町
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